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山崎ひとこと 2006年2007年とメンバー募集をし続けて今の悪い芝居になったんだけど、そのメンバー募集を一旦打ち切って、「さあやってみるか」とそのメンバーのみでやる最初の公演が「なんじ」だった。大阪での初の本公演、いつもと違う土地ってのもタイミングとしてはよかったなー。 これまで3年間、曖昧なままやってきたのをここいらでくっきりさせたいなってのはこのところ少し思い始めてて、そういう意味ではいい名刺代わりの一発がぶんなぐれたんじゃないかって思うんです。 と、ここまで書いて、今まで書いたここの文章を読み返すと、けっこうこういうことばっか言ってるなー、僕。多分、悪い芝居での演劇しか知らないメンバーばっかり増えて、「岩乙女!」から「なんじ」まで毎公演人生初舞台の人がいて、そういう状況で、まず自分のハラワタみせる前にこいつら何とかしなきゃってのが先行してて。自分なりに何とかしてきたってのがあるから、「やっと集団になれた」みたいなことばっか言ってるんじゃないかなー。 ただそういうことばっかの苦しさが「ベビーブームベイビー」くらいで満タンになってきた感じがあって。メンバーは寄せ集めだし、少しドライでもいいから、まず作品だけででも繋がりましょうや、って関係が違うんじゃないかなって。で、ガス抜きみたいな感じでできたのがあのオープニング。観てない人は写真で想像してほしいです。 「お客さまは神様」ってのと「神様なんか信じない」ってのをキーワードに、お客さんを突き放してそっから2時間とかでその距離がどのくらい縮まるかに興味があった。そこを縮まらせれるかが悪い芝居側のやり所だろうと。物語の中の「絶対に縮まらない距離のところにいる一方的に愛する人との接し方」みたいなのと重なるなーって。 ストーリーは自分でも説明しにくくて、何だかんだいって、先のこととかこれ言ったらどうなるかとか今ごろあの子何してるのかなーとかまた外国で事件起きたなーとか色々考えっけど、それ考えてる自分は今何なんだろうみたいなのを、海外で誘拐された人と引きこもりの人っていう真逆なようですごい共通してる「囚われた人間同士」の世界ひっくり返っても結ばれないラブストーリーみたいな感じの話だと思います。 世界−僕=世界、つまり僕=0っていう。 あと、1ページに1個、だいたい2分に1個くだらない笑いを入れるってのが書く上での勝手な課題で。ある程度うまくいったってのはあるけど、でもまー、知らないやつが何かやってるよっていう、回によってバラバラないつもの感じもあった。ただ何でかやってて楽しかったし、どーでもよかった。こいつらバカだなーってやりながら観て僕は思えたし。 自己満足とかオナニーって言葉がこの世にあるせいで、そういう評価をいただくことも表現してたら誰でもあるだろうけど、結局自己満足通してない表現の方が嘘くさい。 常にまず自分と強く向き合いたい、そしたらその先に光が見える。お客さんはあったかかった。どーだってよくなったのに、大嫌いだーなんて言ったのに。 嬉しかったです、ほんとに。 そんなふうに思えるようになった作品です。 劇中で僕が生まれる前や赤ん坊のころのヒット曲を全編流したんですが、けっこう反応ありまして、何でかってのは単純にまず好きだから。あとはこの頃の曲ってほとんど「あなた」とか「君」とか二人称に対してのが多くて。今は「僕」とか「私」とか一人称だったり「みんな孤独さ」みたいな自分含めた広い範囲の三人称が多い。 どれも結局自分のことを歌ってるんだろうけど、二人称通して表現される自分って素敵だなと思ってこの時代の曲ばっか使いました。ちゃんとジャスラックしてますよ。 僕の芝居にとっての「あなた」は誰なのか考えたかったんじゃないでしょうか。 とにかくこの作品観てくださった人は今後僕たち悪い芝居を語る上で、大事にしてほしいなーって、こんな感想がやった後出てきて、すごく不思議だけど何だかしっくりくるんです。忘れたくないですね、少なくともやった側である僕は。 2008年4月12日 早朝 山崎彬
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