悪い芝居 30challenge ④

悪い芝居の感想を読もうとTwitterを開きエゴサーチをしていると、必ず出てくる白い犬のアイコン。そう、ズイショさんである。現メンバーの中では山崎彬・植田順平の次に“悪い芝居”を知っている、貴重なファンの一人だ。

ズイショさんがSNSやブログで放つ言葉には説得力があり、その説得力の裏には筋の通った分析と悪い芝居に対する誠実さが感じられる。悪い芝居メンバー全員が、ズイショさんの感想ブログをドキドキしつつも楽しみに待っていると言っても過言ではない。

我々がひっそり気になっていたズイショさんに、30回目の本公演を上演するタイミングで山崎彬と話してもらったら…。

そんな好奇心から決まった今回の対談は、予想を遥かに超え、胸を打つおもしろ話へと展開していった。(2022年11月9日、リモートにて対談)

山崎(以下、はじめまして。はじめましてじゃないか…。

ズイショ(以下、何て言えばいいかわからないですけど、はい、いつもお世話になってます(笑)。

30回目の本公演『逃避奇行クラブ』に向けて悪い芝居30チャレンジというのをやってるんですけど、その中の一つにweb対談があって、初期から悪い芝居を観てくれているズイショさんと対談したいなという話になって。

話してみて違うな~って思ったらお蔵入りでいいかなくらいの気持ちでいます。

わかりました(笑)。話してみて違うな~って思えば躊躇なくお蔵入りにしますんで(笑)。

どうぞそうしてください(笑)。

ズイショさんが凄い熱量で「このままでいいんだ」って思わせてくるから

ズイショさんっていつから悪い芝居を観てくれてるんですか?

僕は元々関西の大学で演劇部にいまして、悪い芝居の公演にチラシの挟みこみに行かせてもらったこともありますし、自分らの演劇部に悪い芝居のチラシが届いたりっていうのもあって。一番最初に観た公演は、2008年の『なんじ』ですね。

2008年…。14年前か…。

はい。ちょうど自分の卒業公演を終えた時期で。その公演がいまいち手ごたえがなかったというか、うまく伝わってないなぁってモヤモヤしてたタイミングで。

ズイショさんのブログで確か「当時の彼女が観に行って来いよって言っていた」みたいなことを読んだ気がします。

はい。今の嫁さんですね。

そうなんですね! なんか嬉しいです。大阪で公演してる時はコンスタントに観てくださっていましたよね。

『なんじ』から『団欒シューハーリー』までは全部観てますね。大学卒業した後、僕も劇団みたいなのをやっていたんですけどうまくいかなくて就職して。その頃は芝居を観るのもしんどい感じで。なので『団欒シューハーリー』から『キャッチャーインザ闇』まで観てないんですけど、『キャッチャーインザ闇』以降は、基本的には関西でやってて観に行けるものは観させていただいてる感じですね。

今、おいくつなんですか?

36歳です。

ちょうど僕が大学卒業する時にズイショさんが大学入ったくらいの差ですね。

それくらいですね。

ズイショさんのブログは、どれもすごい熱量で悪い芝居の感想を書いてくださってるから、調子に乗って「きっと好きでいてくれてるだろう」と思って対談を申しこんだんですけど、実際のところはわからないんで、今日まで不安もあって…。

それはもう! 好きじゃなかったらあんなのやらないでしょ!

ですよね。よかったよかった(笑)。いつももの凄く勇気づけられていたんですよ。ちゃんとやりたいことが伝わってると感じる感想を届けてくれるんで「このままでいいんだ」って指針になってた時期もあるくらいで。重荷を背負わせたいわけじゃないんですけど(笑)。でもその反面、ズイショさんには伝わるのに伝わらない人には全く伝わらないこともあって…。何でなんですかね?

何でですかねぇ(笑)。

で、もっと皆に伝わる作風に変えようかなって思っても、でもズイショさんが凄い熱量で「このままでいいんだ」って思わせてくるから、このままでやろうと。若手劇団だからこその板挟み状態というか(笑)。

だいぶ薄いですけどね、僕のほうの板は(笑)。

とはいえ割るわけにもいかず…(笑)。

Instagramとか公式サイトで山崎さん個人のメッセージを読むと、やっぱり世代が近いのもあって、今までハマってきたものは似てるんだろうなっていうのは思いますね。特にお笑いに関しては、だいたい同じルートを辿ってるのかなって。

ダウンタウンからの、みたいな?

はい。ダウンタウンからの、みたいな。

生活してても頭の中の大半を占めてたような感情みたいなものを貰える

元々演劇をされてたってことなんですが、脚本や演出をされてたんですか?

そうですね。脚本も何度かやりました。

ブログはいつから?

2013年くらいからですね。ブログでちゃんと感想を書いたのは『春よ行くな』っていうのは覚えてます。それ以前もツイッターでわちゃわちゃ書いてたんですけど、「俺言うこと長いな」って思って。もともと文章を書くのは苦ではないタイプだったので、だったらブログのほうが良いなと。あとは自分自身が会社員で「お前どうすんねんこれから」みたいな、「表現するのを全放棄するんかい」みたいなことを悩んでもいて。それで、一人でできる表現の形ってなんだろうって考えたら、とりあえずブログでも書いとくかってなったのが流れですかね。

ズイショさんの文章は独特で、エグみもあるけどポップさもあって好きなんです。僕がつくる演劇ともある種の親和性を感じるというか。

相手にぶつけたいものが似ているんだろうなってのは感じます。

ズイショさんにとって悪い芝居を観続けようと思う原動力って何なんですか?

裏切られないことですね。最初に『なんじ』を観たのが14年前で、そこから14年も裏切られないって凄いことだなと改めて思って。もちろん悪い芝居もブラッシュアップしていってるんですけど、いまだに観終わった後に貰うものが、初めて観に行った『なんじ』のオープニングで、山崎さんがおさげのセーラー服姿で叫んでた時に貰った衝撃とずっと変わらないんです。変わらないって凄いなって思います。歳を取ると若い時にハマってたアーティストが「あっ、そっち行っちゃうんだ」「あー変わっちゃったなー」っていうのがあると思うんですけど、そういうことがなくずっと最初の衝撃と同じものをくれ続けてて。歳を取れば取るほど、そういう衝撃を貰うことって減ったなって思うんですけど、悪い芝居からはいまだに貰えるんですよ。それが観続けている一番の理由かなって思いますね。

うれしいです。ほんとありがたいっす。意図して目指してるわけじゃないですけど今話聞いていて、劇場サイズが大きくなろうが観る人が増えようが、僕の根本にある自分が面白いと思うものは、旗上げたころから大きく変わってないんです。自分が面白いと思うものが変わらないと作り出すものって結局変わんないんだなーって最近思うんです。同じように、僕が好きだなって思う作り手たちもずっと変わらない人が多くて。裏を返せば成長できてないとも言えるんですけど。他のものを好きになるチャレンジもしてみたけど無理でしたね。じゃあ変わらなくていいやって。

僕の中で凄く印象に残っているのが『春よ行くな』の初演と再演なんです。『最低の夢』 から『春よ行くな』の手前までくらいの期間って、何か外から見てて山崎さん大変そうだなって思っていて。これ、使えない話っぽくなったら申し訳ないんですけど、メンバーさんの入れ替わりも激しかった時期で、作風も常に前の公演の真逆にいったろみたいなのをめっちゃやってたなと思うんですけど、その時、普通の感想を書かれるくらいならちょっと嫌われるくらいがいいみたいに今の山崎さんは思ってるのかなって感じてたんです。それの究極系が 『春よ行くな』。凄い衝撃を受けました。最後のシーンで舞台奥にある幕が落ちて、in→dependent theatre 2ndの搬出入用のシャッターが開いた時、チャリに乗ったおっさんが前の道をたまたま通りかかったんですよ。

普通の裏道でしたからね。

そのおっさんが「何してるん、こいつら」みたいな感じで中を見ていて。その姿を見て「いや、でもほんま何してんねんなんだよな、俺たち」みたいなことを思ったんです。舞台上で演じてるものも、観に来てる僕らも全部ひっくるめて、あのオッサンからしたら何してんねんやけど、何してんねんでいいじゃんって思えて、むっちゃ感動したんです。その後に再演があったじゃないですか。脚本は初演と再演でほとんど同じでしたけど、再演の前に色々とバンド演奏を使ったりポップな作風で山崎さんの中でも手応えを感じるようなものがあったのかなって思ってて、それを踏まえての再演だったので、初演に比べて色んな表現が柔らかく包み込むようになってたんですね。その再演を観に行った時の僕の勝手な感想なんですけど「あの時ごめんね」っていうのを凄く感じたんですよね。

「ごめんね」?(笑)

「初演の時はギスギスしてたけどごめんね」って。それ以降は安定して、山崎さんの演劇と人間に対する愛っていうものが全面に押し出る作風にガーッと寄っていって。

まあ、まさにその2008年からの5年間って、「さあこれから劇団どうしようか」って悩んでた時期ですねぇ。報われないとまでは言わないけど、作品を発表する喜びの裏でバイトして生計を立てて、喜びを感じる本番は一週間くらいで終わる虚しさがあって。そんな虚しさを反芻する暇もなく、その足でバイト行かなきゃならないという現実があって。今とは違う意味での「何のために演劇やってるんだろう」って思ってました。覚えてるのは、2009年の『嘘ツキ、号泣』のころなんですけど、当時、動員も増え始めた時期で、色んな大人が貴重な御意見をたくさんくださるわけですよ(笑)。

はい。

劇団が、社会というか、演劇界と繋がり始めたんですね。「脚本ってこういう風に書いた方がいいよ」とか「宣伝はもっとこうした方がいいよ」とかとにかく色んな人が言ってくる。演劇界なんて社会と呼ぶにはめちゃくちゃ狭い世界なのに、当時はまだ広いと思ってたし、大人に何か言われるのも初めてだったんで。好き勝手やってた時期とはいえ、同時に自分のやり方も見つけなきゃなと思ってたのもあって。そういうアドバイスは上に行くためにも聞いてみようと思って。で、その通りやってみたら戯曲賞で佳作を頂いたんですね。大人たちは「おめでとう!」って言って「じゃあ次はこうしよう!ああしよう!」って喜んでいる。その時の僕と言えば真逆で、喜ぶ大人を白けて見てる自分がいて。もちろん感謝の気持ちは持ってたんですけど「いやいや、アドバイス聞いて辿り着けたのは佳作やん」って。クソ生意気ですし、期待して色々言ってくれてたってことも、自分の力不足だったってことも、今となってはわかるんですよ。でも当時は、言う通りやった結果は佳作なんだったら好きにやって賞取れない方がいいんじゃないかって思って。で、そこから大人の誘いを断るようになったら、陰で根も葉もない悪口を言われてたりとか(笑)。そういや、近づいてきた大人も最初の頃は僕じゃない他の作り手の悪口言ってたなぁと思い出して、あーこういう人たちは同じ場所をグルグルしとるんやなぁって思って。より自分たちと観客のために演劇をやりたいなと思うようになりましたし、後輩には求められればアドバイスはするけど、同時に、こんな意見無視していいって言うようになりました。そういうのが2013年の『春よ行くな』の初演の頃の苛立ちや呆れや絶望に繋がってくんです。好きで始めたものなのに、自分以外の声に振り回されて、傷つく経験をし始めた時期です。

そういうことでしたか。

ズイショさんのさっきの話聞いてて、本当に一緒に過ごしてくれていたんだなぁって思いました。

一緒に過ごしたって言われるとすごく嬉しいんですけど、言っても一番楽なポジションから見てるだけなんで(笑)。メンバーの入れ替わりってのも、山崎さんが試行錯誤を色々してた時期でもあったので、ふるいにかけられたってわけじゃないけど、そういう中でお互いにちょっと違うなってなっているのがあるんだろうなみたいな。

まあ仕方ないというか。人間は変わるし、変わらない人間の方が変だし、ずっと一緒にやれるならそりゃいいけど、一緒にやれないなら一緒にやらない方がお互いのためにもいいとも思うんで。基本的には一切止めないですね。

自分自身も素人ながらお芝居作りしたことあるので、そういうことってあるよなって思ってました。ただ、同時にしんどい気持ちもあるんだろうなって。なんか痛いファンみたいな感じですみません。

いえいえ。吐き出した一作品の評価よりも、吐き出し続ける過程を含めて変化を追ってもらえるって作り手として一番嬉しいことだと思ってます。最近の僕らはどうですか(笑)? 丸くなってますか(笑)?

そうでもないと思いますけどね。尖りは取れてってる気はしますけど丸くなってるとは違うかなと思います。山崎さんの作風が確立してきてる中で、おこがましいですけど、コアの部分を受け取れる人たちが集まったなー、というか、残ったなーっていう感じですね。これからもっと面白いものを作ってくんやろなーっていう信頼は増していますね。

頑張ります(笑)。自分と感覚が遠いとか、もっともっと広い範囲の人に伝わるようにするにはどうしたらいいだろうっていうのは最近は特に考えてますね。今までやってきたものをそのまま、遠く広く伝わるようにするにはどうしたらいいかなって。関西の皆様には東京での公演が多くなって凄く申し訳ないんですけど、本多劇場でやってる悪い芝居を観てほしいなって思いはやっぱりありますね。

いやー、ホントは劇場に行きたいんですけどねぇ。

もちろん無理しないでほしいんで、全然いいんですけど。

僕自身、悪い芝居さん以外の演劇はほぼほぼというか全く観に行かないんですけど、悪い芝居だけは観てるんですよね。本当にプリミティブな衝撃を毎回受けれるんで。人生で初めて誰かと喧嘩して仲直りしたと時の感覚とか、しょぼい言い方だけど、初恋した時の感じとか。そういう時の「お前そんなこと考えてもしゃあないで」って、大人になった今は思えるけれども、当時の自分にとっては大きいことで、生活してても頭の中の大半を占めてたような感情みたいなものを貰える。それって大人になったら抑えなきゃいけないんで抑えるんですけど、悪い芝居は解放させてくれる。そういうのが欲しい人はぜひ観たらいいよって思います。いらない人もいると思いますけど(笑)。

そうですね(笑)。

10年以上追っかけているんで、多分10年後も面白いことやってるよって、これから新しく観る人とか若い人には言いたいですね。

瞬間瞬間に感動して生きていたいだけなんですよ。

ズイショさんの中で、1番好きな作品って何ですか?

え~……! いや~、めっちゃムズイですね! 選べないですね!

(笑)。

何ですかねぇ。一番ぶん殴られたのは『東京はアイドル』ですかねぇ。

あー。

当時の悪い芝居を全部混ぜてきたみたいな感じで。山崎さんから「人生として芝居をやってくんだ」というのを凄く感じた印象があります。

14年前の作品なんで、今いるメンバーのほとんどが10代だったりするんだって考えると、凄いことだなって思います。

14年っていったら甥の小学生が就職してますもんね。

翌年に初めての東京公演をするんですけど、ちょうど東京でやることが決まった時期にやったのが『東京はアイドル』なんですよね。

なんで東京公演決まったからって、ああなるねんっていう作品ですね(笑)。

ある村があって、東京に憧れてアイドルをやっていたけど上手く行かなくて戻ってきたヒロインがいて、それと同時に村からは離れないって言ってる鬱屈した主人公がいて、とかいいながら結局最後、東京に向かうと言い出す主人公を皆がちゃんと見送るみたいな話だった気がするんですけど、東京への憧れとかを、なんだろう、僕なりにポップなストレートプレイとして仕立てた作品なんですけど…。

いや、全然ちゃいますよ!

あれー(笑)。

観てて、言いたいこと全部言ってやりたいこと全部やってるわこの人って特に思った作品で、勝手に嬉しくなってました。

それは今も変わらないですね。「あのシーンって必要なの?」って言われても、いやいや劇団公演では無駄なことをやらねばならぬって思ってやっているんですよ。で、結局伝わらず、やっぱ誰も必要としてないのかなと思う時もあるんですけど、合理的で効率とコスパのいいものばっか作ってたら、終わってくと思ってるんで。必要じゃないものは演劇経験値的に完全にわかってるんですけどね。

いや必要ですよ。『東京はアイドル』の時は、わざわざビニールシート敷いてカレーかけられてましたもんね。

そうです(笑)。さすがにメンバーには申し訳ないから、自分がカレーをかけられました。「オレはライスになりたいんだ」という思いで。

その先の『最低の夢』では、舞台上がわちゃわちゃしてる隙に、山崎さんが着ている衣裳を勝手に客に着せて舞台にあげるみたいなのも、めっちゃ面白かったです(笑)。

やってましたねぇ(笑)。わちゃわちゃが落ち着いたら、僕の衣裳を着た知らないオジサンが舞台上にいて、僕はその人の席から観てるという。他にも客席を寿司桶持って回ってお客さんにお寿司食べさせたりとかもしてました。みんな歓声あげながら口開けるんで、そりゃ放り込みますよね。劇場の偉い人が率先して口開けてサーモン食べてて、劇場的にOKもらったって思ってましたもん。今では考えられないですけど。

(笑)。

でもまあ、今同じことしていいよって言われてやるかとなると、ちょっと考えますね。それは大人になったとかではなく、やりたいっていう思いが純粋になくなったというか。結局、時代も含めてですけど、自分に求められてることをシンプルにフィクションと演劇と演出と俳優で伝えたいとしか思ってなくて。あの時はアレが必要だっただけなんです。だから昔の脚本はあるから今再演できても、興味が変わっちゃってるから当時の悪い芝居は再演できないんですよ。使える過去公演がなくて困るなあとも思うこともありますけど、ちゃんとその時にしかできないことをやってきたとも言える。そういう意味では、表現する動機は変わってないですね。瞬間瞬間に感動して生きていたいだけなんですよ。

スケールが違う話かもしれないですけど、僕も昔のノリでブログを書いていたら多分あっという間に炎上みたいになっちゃうんで。そういう部分で感じるのは、『今日もしんでるあいしてる』で、コロナ禍で世界が色々変わってしまったってのもあるんですけど、そのもどかしさそのものを芝居に乗せてるってのがすごく素直に受け取れました。観客に寿司を食わせたりとかはこれからの時代できないだろうなとは思うんですけど、寿司を食わせる感じは残したまま今の表現として乗っててすごいなーって『今日もしんでるあいしてる』を観てて思いましたね。

ありがとうございます。ズイショさんの文章からも、時代的に良くないとされてる言い回しは良くないものとしてちゃんと自覚的でありつつ、じゃあどうやってその背後を取るかみたいなことをチャレンジされてるなってのは感じますよ。

そうですね。

ダメとされているからって、その価値観が最初からなかった風にするんじゃなくて、ダメなことに自覚的で、ダメとされることに敬意を払いながら、ルールの中でこねくり回して自分が変わらず面白いと思うものを伝える系発信者じゃないですか、我々は。

そうですね。ダメっていう概念とプロレスしてるみたいな。

そうそう。まさにそうだと思います。プロレスさえもダサいからなくしてこうみたいな気配もあるけど、でも素敵なプロレスもあるので、そういう作り手には頑張ってほしいなって素直に思いますね。

でも悪い芝居って意外と、やっちゃダメなこととかコンプラ的なこととか、時代の流れが来る前からちゃんと自覚的にやってはりましたよね。できることの中でどうするか、みたいな。

そうですね。作風から誤解されますけど、そういうのは常に考えてましたね。なので、今の時代に息苦しさとかは全く感じないです。息苦しい時代なんて言ってる人は、自分が自由にやってただけで、その時にも息苦しさを感じてた人間がいるってことを知らないんだと思う。学生時代とかもルール外れるヤツは嫌いだったし、酔ってるから気が大きくなるヤツもワザとやってると思ってるんで(笑)。でもルールの中でやってるつもりでも誰かを傷つけることはあって。そういう時はほんとに落ち込みますね。

わかります。こういうシザーハンズは、どうしていったらいいんですかね。

どうしたらいいんだろう、ほんとに。「何で?」って人が評価されてクラウドファンディング目標200%達成! とか見るたび、あー自分は世間の人とは感覚が違うんだなぁって、自分の好きなものは異常なんだなぁって思う。結局そういう刃は、鞘に入れとかなかった自分が悪いんだという結論に辿り着く。

難しいっすね。

かなり初期のころ、悪い芝居が初めて外部の短編演劇のフェスに呼ばれて、本公演の直前だけどオファーされたから出ようってなって。オファーが来たということが嬉しくてギャラのことを聞いたら「有名劇団も一緒に出るから、そこのファンの人も観るし、宣伝になるんでギャラはなし」と言われて。謎だなとは思ったんですけど「その代わり好きにやってくれていいから」っていうんで、じゃあ好きにやれるなら劇団の宣伝にもなるしって、ちゃんと納得した上で出ることにしたんです。内容は舞台上では普通に短編演劇をして、そしたらエライ人役が「おうやってるかい。私がこのフェスを企画したんだよ~」って客席に現れて邪魔してる自覚なく邪魔してて、そしたら「僕たちはノーギャラで出てるよ!」って書いたチラシを配りながら他のメンバー出てきて、客席にいたお客さん役が「どういうことだ!」ってエライ人役に怒るけど、舞台上はショーマストゴーオンで止められない短編演劇をバカみたいに続けてるってヤツなんですけど。信じてもらえないかもけど、僕としては反旗を翻したいとかじゃなくて、純粋にそういう光景が目の前に現れたらハラハラヒリヒリして面白いなあと思ってやったんです。結果、めちゃくちゃ変な空気になって(笑)。楽屋に戻ったら他の劇団の人たちも目を合わさないようにしてる。「あいつら勝手な事やりやがった。ヤバ」みたいな。主催者も真っ青な顔してて。そこまでリアルに思わせられたとも取れますけど、でも僕の中では演劇で他の劇団さんがやってることと同じだったんです。だって、だってですよ。脚本はちゃんと事前に主催者に渡してるし、通ってるんですもん(笑)!主催者が提出した脚本を一切読んでなかったんです。で、怒られて落ち込んでたら、出番終えて観てくれてた別の劇団の人が小さい声で僕のそばにきて「最高でした」とか「救われました」って言ってくれて。いや大きい声で言ってよとは正直思いましたけど(笑)、この、大きい声では言えないけど、こっそり「最高でした」と伝えてくれる人たちのためにやる演劇があってもいいのかなって思ったんです。純粋に作品をつくってるだけじゃあ上にはいけないのもわかる。でも、やたら演劇愛を語って善人ぶってるヤツほど、めちゃくちゃ計算と打算でやってる場合もある。お客さんに見極めろとは言いませんし、それもある意味で戦略勝ちだと思いますけど、やっぱり僕は戦略を作りたいんじゃなくて演劇が作りたいなあと思いますね。その土俵での勝負はいいやって。そういう部分では自分は業界に向いてないだろうし、作品観てキライって思われてそれ以降一回も観てくれない人もこの地球上にはいるだろうけど、それはもう仕方ないと受け入れて、ただただつくりたいものをつくっていきたいなって思ってます。

はい。作ってってください。

逃げることをテーマに山崎さんが描くのは、優しいし厳しい物語になるのかなって

次回の公演のタイトルが『逃寄避行クラブ』に先日決まったんですけど、僕はよくわからない集団の話が好きで、今回もそういうクラブの物語になるんですね。逃げる事は何かを追いかけているようにも見えるってイメージをテーマに、みんなが笑ってることで笑えない人たちが、その場所で笑えるように頑張るんじゃなくてちゃんと逃げる話を書きたいと思ってます。世界はかえられないと知ったけど、逃げながら笑ってる人たちの物語。

対談にあたって頂いた企画書ではタイトルは『尊い逃避行(仮)』でしたよね。

はい。仮タイトルはそうでしたね。

それを見て一番最初にパッと浮かんだのが、重松清の『疾走』でした。あれも自分を閉じ込めている環境から逃げよう逃げようとするっていう作品ですが、それを『疾走』って言ってるわけですよ。逃げることを無理矢理プラスに捉えようとしてるみたいな。結局は逃げてるだけなのだけど、逃げてる中でほとばしるエネルギー、ポジティブな部分もあればネガティブなドロドロした部分も全部ひっくるめて『疾走』っていうタイトルになったんかなと思って。翻って考えるに、逃げることをテーマに山崎さんが描くのは、優しいし厳しい物語になるのかなって思って。無理にプラスを目指さなくていいんだよみたいな。自分が生まれた時に持っていた原始的な欲望を大事にすればプラスでいる必要はないしマイナスでいる必要もない。そういうことをさっきの話じゃないですけど、山崎さんから凄い感じる時があるんですよね。どの状態から逃げる話になるのかはわからないですけど、プラスの場所を目指すんじゃなくマイナスからゼロに逃げるの感じのことを描くのかなとは受け取っていて。本来いるべき場所に逃げ込むんだみたいな。ものすごい素敵な芝居になりそうだなって思いますね。まあこれ、僕が全部勝手に頭の中で考えたことなんで、何が素敵だってなるんですけど。

なんも言ってないのに(笑)!

なんも言ってないのに(笑)!

すごく良い相談所ですねここは(笑)。実はまだ一部のメンバーにしか中身は話してないんですけど、やっぱ思考の流れが近いのかすごくシンパシー感じますね。

ありがとうございます。

まさにそういうことを話してましたもん。他人には逃げているつもりでも何かを追いかけているように見える場合もあれば、本人は何か追いかけているつもりでも逃げているだけでしかない場合もあるし。ある意味どこかに向かって走らなくても逃げているとも追いかけているとも言えるし。「逃避行」の間に「奇」を入れて「逃避奇行」にしたんですけど、結局、かつての短編フェスに出た悪い芝居のように、人によって受け入れられないものが「奇行」として扱われ、多くの人に受け入れられるものが「奇行」じゃないものとして扱われるって価値観をベリっと剥がしたいなと。そういう作品になればいいなって思いますね。

めちゃ楽しみにしてます!

そもそも「悪い芝居」って劇団名も、誰にとっての「悪い」なのかという、そういうことですもんね。

わかります。わざわざ「悪い」って自分から言ってしまってる以上は悪いことよりもまずやりたいことちゃんとやらないとカッコつかないみたいな潔さがありますよね。それは大変なハードルなので誰しもなかなか自分では名乗りたくない超かっこいい劇団名だと思います。「悪い芝居」。

期待に応えられるように頑張ります! ま、適当につけた名前なんですけどね。

(笑)

これからもブログ、楽しみにしてますっ!


ズイショ

普段はWEB広告代理店に勤める36歳の会社員。本業の傍らブロガー・ライターとしても活動中。社会問題から人間関係・エンタメまで大小さまざまなテーマにコミュニケーション不全の観点からアプローチすることを好み、比喩とイメージの飛躍で問題の構造を解きほぐしながら知恵の輪で遊ぶように言及する。虫歯が痛くて全く眠れなかったある夜、一晩中のたうち回りながら頭の中で高速でソリティアをしていたが、自身の書く文章もそれに近いものがある。過去に関西のとある学生劇団で演劇活動を行っていた。