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植田順平のあいうえお

あ 赤ちゃんの頃
1981年6月10日水曜日未明。京都太秦映画村の近くの改装工事中のやかましい病院で、産まれたそうです。その騒音が胎教となり、騒音を聴くと和む大人になりました。
「な」へ続く
い 意匠
さて、建築士を目指して入学しましたが、1回生の間にちょっとだけ味わって満足し、なんか性に合わんと思い、2回生の頭のコース選択の際、意匠コースというデザインを勉強する方に変更しました。自分は将来デザイナーになるのかなあとふっくら思っていた大学での勉学でした。
「の」へ続く
う うんこのチラシ
そんなこんなで割と平穏に生きておりますと、会社のバイトちゃんが、お芝居やってるんで観に来てくださいと、うんこみたいなものが書かれたチラシを渡してきました。チラシの裏をみたら「ぷりっ」と書いてあったので、たぶんうんこでした。
「つ」へ続く
え 絵
そんな平々凡々な家庭でしたが、両親は学生時分に美術を専攻しておりました。その影響を受け、絵を書いたり漫画を描いたりするのが好きでした。将来は漫画家か、画家か、CGデザイナーになりたいなあと夢見ていました。今でも時々絵を描きますが、少し自分らしさを取り戻したような気持ちになります。落ち込んだり凹んだりした時、絵を描いて元気を出す、というようなことをしたことはありません。
「ろ」へ続く
お Honesty
ある日のバンド練で、Billy JoelのHonestyを演奏していたら自分でも驚くほど感動してしまい号泣しながらドラムを叩いたことがあります。今思い出してその曲を聴いても、なんでもそこまで感動したのか不思議でなりません。名曲には違いないです。
「い」へ続く
か かってに改蔵
そんな調子だったのでデザイナーとして実るはずもなく留年もして、さらに就職活動もろくにしていませんでした。立ち読みしてた社会風刺系漫画の就活ネタを真に受けてビビっておりました。
「は」へ続く
き 強豪バスケ部
とにかくそういう奥まった性質に育ちましたが、小さい頃は運動した方が良いという母の助言のもと、中学校ではバスケットボール部に所属しました。割と強豪校だったと思います。より強い洛西中学がすぐ傍にあって、そこに全国大会出場を阻まれたぐらいのとこまで行った気がします。なお洛西中学は全国優勝するくらい強かったです。僕はベンチにも入らず応援してました。
「せ」へ続く
く 黒夢
多感な思春期を黒夢で過ごし、価値観や恋愛観、恋愛観というかセックス観に、バリバリ黒夢の影響を受けました。童貞の僕は、えっ、セックスってそうなん!?ってめっちゃ思ってました。手で塞いでも溢れる?なに?
「め」へ続く
け 軽音楽部
人手不足のドラムは誘いが多く、大学生活で通算で50近いバンドを結成しては解散しました。そうやって大学のほとんどを軽音楽部の部室で過ごしいる間に、髪が伸びて金髪になりました。
「も」へ続く
こ cocco
めっちゃやりました。ドラムのパターンが好きで未だに影響受けてます。
「お」へ続く
さ 幸子
間抜けな名前だなあと思っていた順平の初恋の相手は幸子でした。いとこです。恋は盲目、という言葉の意味を知りました。
「そ」へ続く
し 椎名林檎
そしてその当時のエンディングテーマ曲が、椎名林檎の「ここでキスして。」でした。ああ可愛い人が変な声で良い曲歌ってるなあと、黒夢みたいなジャカジャカしたのから離れて、こういう穏やかなのを聴くようにしても良いかもしれないと思ったのでした。だけれども慎重な僕はそのシングルを買うでもなく、もうすぐ発売されるらしいアルバム「無罪モラトリアム」も買うでもなく、レンタルできるようになるまで待ちました。
「へ」へ続く
す 吹奏楽部への誘い
さてそんな中、身の毛もよだつ受験シーズンです。その飼育委員長に、同じ高校に行って吹奏楽部に入ろうと誘われました。なんでもその高校の吹奏楽部は、部活動が終わると軽音楽部になると言うのです。なるほどそれは良いと思い同じ高校を受けました。
「ひ」へ続く
せ 生徒会
バスケ部には必要とされていなかったことと、先生の強い勧めを受けて生徒会長に立候補しました。いやあ俺はそんなの別にやりたくないんだけどねスタンスのやつです。まんざらでもなかったのは事実ですが、同期の文化委員長が、植田が立候補しなければ出てた、と言っていたらしく、それを聞いてマジかいと思いました。生徒会のみんなが元気にやってるかよく気になります。会って食事でもしたいなあと。僕に会いたくない人もいるでしょうが。
「に」へ続く
そ そーめん
当時は土曜も授業があり、午前中に終わってました。夏場の土曜のお昼ごはんはそーめんでした。夏休みは毎日そーめんでした。
「ね」へ続く
た ダウンタウンDX
その当時、ダウンタウンDXは、芸能人イメージレースとか、卵を高いところから落として割らないとか、そういうコーナーをやる番組でした。卵を割らないっていうのはすごい衝撃吸収材を使ったゲームで、小さいその衝撃吸収材の上に卵を落とせば割れないので、割れてなければ成功みたいな内容でした。その衝撃吸収材のすごさを説明するときに、まっちゃんが、ほら、割れないんですよ、こんなにやっても割れないんですよ、って言いながらバンバン卵を叩きつけ、最終的に割ったのを覚えています。
「し」へ続く
ち 長髪
その先輩は院に入るか就職するかを悩んだ時期があったらしく、それまで長髪だったそうで、「植田も髪伸ばす?伸ばすとモテへんで~」と言われて、絶対に髪なんか伸ばさへんぞと決意しました。
「ぬ」へ続く
つ 強かった決意
どれどれと思いつつ、会場のアトリエ劇研へ向かうと、母校から目と鼻の距離で、大学の近くにこんなのがあったんだなあと驚きました。芝居の内容はやっぱりうんこでしたが、痛く感動した僕は、お芝居をやろう、それもこの劇団で、と決めたのでした。
「る」へ続く
て TK
身軽になったので1人暮らしを始め、土日は友達とよく遊ぶようになりました。大学時代は毛嫌いしていたカラオケにもよく行きました。懐メロとか言いながら友達が歌った小室哲哉の曲を聴いて、10年近く前の曲なのになんて斬新なんだと驚いていました。
「う」へ続く
と top gear のギター
あと飼育委員長とは学外でも付き合いがあって、バスケ部を引退した夏、ギターを貰いました。Fender(に似てるロゴがあしらわれた)ギターでした。ギターを始めたの中3の夏です、と、なんか青春ぽいフレーズを手に入れた瞬間です。絵ばっか描いてた頃と同じように、ギターをたくさん弾きました。今でも時々ギターを弾きますが、少し自分らしさを取り戻したような気持ちになります。落ち込んだり凹んだりした時、ギターを弾いて元気を出す、というようなことをしたことはありません。
「ら」へ続く
な 夏樹
母は僕を、なっちゃんと呼ぶために夏樹とするか、じゅんちゃんと呼ぶために純平とするかに悩んでいたものの、僕の顔を見て順平と名付けたと教えてくれました。小さい頃はなんか間抜けな名前だなあと思って悩んでいましたが、今はそうでもないです。
「さ」へ続く
に 人気者
なれませんでした。華のあることしたのに。
「と」へ続く
ぬ 盗まれたもの
僕はそれまでギターを弾いてきましたし、本物のFenderもありましたから、もちろん希望パートはギター。意気揚々と素敵な大学生活を夢見ていた矢先、部室に置いていたそのギターが盗難に会いました。僕だけのじゃなく先輩たちのも何本か。ありゃりゃあと思っていたら、誰かに「じゃあ植田ドラムな」と言われてドラムをやり始めました。
「け」へ続く
ね ねぎみそ汁
風邪をひいたら作ってくれました。すごく美味しかった。
「え」へ続く
の ノイマン型コンピューター
デザイナーを目指した結果、必要に迫られ家族で買いました。大学では部室、家ではパソコンの前、にしかいませんでした。デザインせずに公開しないWEBサイトを作って遊んでました。
「か」へ続く
は バイト先の優しい人
そんな折、バイトをしていた印刷会社の偉いさんから、「ウチ来る?」と誘われてホイホイ受けてしまいました。ほんとに助かりまして、無事就職できました。
「て」へ続く
ひ 貧弱じゃなかったバスケ部
ところが、バスケにおいては強豪校で鍛えた技術がありますから、そんな、しょーもない寄せ集めのバスケ部の連中に負けるわけないと思って、バスケ部に入部したら3年間応援席にいました。素直に誘われた通りに吹奏楽部に入れば、また違う高校生活があったんじゃないかなあと思ったりします。
「ふ」へ続く
ふ Fender のギター
吹奏楽部に入らずとも、家ではギターをちょくちょく弾いてました。ちゃんとしたFenderのギターも手に入れました。黒夢の曲ばっかり弾いてました。なお、黒夢にギタリストはおりません。
「く」へ続く
へ ヘッドホン
僕は音楽を聴く時部屋を真っ暗にしてヘッドホンで爆音で聴くタイプでして、当時は他にそんなことしてるやつおらんと思ってました。
「ゆ」へ続く
ほ 星
絵以外には星が好きでした。小学校の図書館にあった星座の本の影響を受け興味を持ち、星に関する本を買えと母にせがみ倒しました。いまだに澄んだ夜空を見ると星座を描いてはその神話を回想します。
「き」へ続く
ま マクドナルド
仕事を辞めてから入団希望の応募用紙みたいなやつを出して、今はお洒落なドトールになった近所のマクドナルドで面談をしました。
「や」へ続く
み 水飲む?
大学入学は、高校入学の時と同じ轍を踏まぬよう、軽音楽部への入部を希望してました。長時間に渡る入学式にはお昼休憩がありました。時間ができたので軽音楽部の部室へ行って、入部希望を伝えたら、入学式の再開時刻になっても戻らせてもらえませんでした。「戻らんでいい大丈夫大丈夫、水飲む?」と、院の1回生に言われてビビリ倒しました。
「ち」へ続く
む 向いてる
真面目に考えるフリをして、そういえば中3の担任に「建築士とか向いてそうね」とか言われたのを思い出して、じゃあそれでって感じで建築と答えたら、「ああ、向いてそうやね」と言われ、建築を勉強できる大学を目指すことになりました。
「よ」へ続く
め 迷惑
そんな影響受けまくりだったのに、高2の冬、黒夢は無期限の活動休止を発表しました。黒夢を人生の道標としていた僕の喪失感は、残念やわあ、とクラスのみんなに言い回るなど、周りに迷惑をかけるほど大きいものでした。黒夢がなくとも音楽は聴ける。しかし軸となるものが欲しい。と思った僕は、そういうアンテナを広げて音楽を探しておりました。
「り」へ続く
も モーターヘッド
軽音楽部の部長が僕を含めた1回生3人を集めてバンドを組んでくれました。その時にやったモーターヘッドというバンドの曲が、僕が軽音楽部での活動で最初に思い出す曲です。その時のノリが、未だに残っています。
「こ」へ続く
や 役者がしたいです
「何がしたいですか?」と、当時は男前だと思っていたリーダー格の人に聞かれ、「役者がしたいです!」とは言わず「まあ、はい、やれるなら、役者が、はい、やりたいですけど、ええ、まあ、はい」と答えたら、「何ができますか?」と切り替えされ、「印刷会社で働いてたのでその関係と、あとWEBも少し」と答えたら採用でした。
「わ」へ続く
ゆ 夢を聞かれた
さてそんな中、身の毛もよだつ受験シーズンですが、僕は就職するつもりでおりました。担任の先生に、なんか夢はないのと聞かれ、音楽で食ってけたら素敵だなあとは思いますけど、とかヘラヘラ言ってたような気がします。ちゃんと答えなくて良かった。
「む」へ続く
よ 予言
人生で一番勉強しました。好きになれない科目はガン無視して、数学と物理だけやれば良いと分かった結果のやる気でした。お陰で高校最後の化学のテストで赤点スレスレを取ってしまいました。合格発表は父に車で送ってもらいました。受かってた旨を伝えると、車の中での帰り道「全然勉強してないのに受かってたら人生舐めてまうな」と言われました。お父さん、僕今、人生舐めてます。
「み」へ続く
ら L'Arc~en~Ciel
音楽を意識して聴くようになりました。バンドは何人かが集まってできてる集団だと言うこともその当時知りました。それまでバンドをどんなものだと思っていたのか思い出せません。飼育委員長はL'Arc~en~Cielが好きで勧めて来ました。彼の持ってる音楽雑誌を見ると、ドラムのやつがなんか企画で女装してて、やっぱドラムみたいなもんやるやつって頭おかしいんやなあと思いました。ヴォーカルは女装してなくても女性みたいでした。僕は黒夢を好きになりました。
「す」へ続く
り 流行
とにかく流行り物を嫌悪するタイプの、ヒエラルキーの低い方によくいる高校生でした。あのころはとにかく小室哲哉さんプロデュースの歌が溢れていて辟易としていました。
「た」へ続く
る ルンルンで観た2回目
会社はやや人手不足気味ではあったので、辞めるまでに1年ほど時間がかかりました。そのうんこの次の公演は、オープニングがいきなり……、これについては悪本vol.1に詳しく書いています。
「れ」へ続く
れ レンレンで観た3回目
苦しくなってきましたが、この芝居は良かった。今の僕がある。
「ま」へ続く
ろ ローカルな塾
小学5年生~中学2年生まで通った英語メインの塾です。英語の勉強なのに絵ばっか描いていたら、先生が長所を伸ばすタイプだったのか、クリスマス会に使うツリーの絵を描かせてくれました。
「ほ」に続く
わ 悪い芝居で終わらすのって恥ずかしいけど
おしまい。
続く

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