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山崎彬のあいうえお

あ 赤色
理由は分からないけど、僕にパワーをくれる色。ものづくりの装備品やデスク周りは赤色を選ぶようにしている。「赤色が向こうから寄ってくる」なんて言っていた時期もあった。ノートパソコン、ペン入れ、ペン立て、ノート、ファイル、時計、屑入れ、稽古靴・・・。劇団事務所の作業机の正面の壁も赤く塗られた。赤は血の色、炎の色。闘いの色。好きな色は黒とか白やけどな!!
い 犬か猫か
実家には、数年前に死んでしまったけれどずっと長いこと犬がいて、ずっとずっと犬が好きだった。猫とは縁がなかったけれど、2011年に事務所の前に捨てられていた子猫を劇団で拾って『しゃもり』と名付けた。そこから猫の魅力に憑りつかれる。猫のように生きたい。けれど僕はどっちかと言えば犬のような人間だ。どっち好きかなんて決められない。将来は犬と猫と暮らす家族をつくりたい。犬派猫派の「派」ってのは何だかピンとこないっす。
う 嘘ツキ、号泣
悪い芝居初の東京公演をした作品。今とはまた違った魅力を持った個性とアクの強いメンバーが揃っていた。このころは劇団にお金全然なかったので(今も別にないけど)、東京会場の下見にはメンバー全員で車を数台走らせて向かった。ところが、無事に到着した劇場の駐車場で車をフェンスにぶつけ、予算を抑えるために車で行ったにもかかわらず死ぬほど痛い出費をする羽目になった。「東京」という街への最初の怒りだ。
東京はとても遠い場所にあった。今ではもうその遠さの果てしなさを思い出せないくらいだ。東京生まれ東京育ち東京拠点の演劇の人に「僕たちは上京をするという感覚を一生味わえないので君たちが羨ましいよ」と言われたことがあるけれど、東京で始まった有利さに比べると、そんなんたいしたことねぇよと思う。だからこそ、自分は東京に闘いに来ているんだという気持ちは今も持っている。
初の東京公演はスッカスカで、それでも足を運んでくれたお客さんにすら「遠いところからよく来たもんだ。そこは認める。」という感想をもらい、全員敵だと思った。今思えば視野が狭かったんだけれど、そういう全員敵だって思う気持ち、本当に愛おしく思うよ。泊めてくれるような知り合いは一人もおらず劇場にみんなで泊まって、銭湯に行った帰りに寄ったコインランドリーでグルグル回る洗濯物を見ながら「この夜を忘れないでいよう」と話したのを覚えている。みんな、覚えてるかな。元気にしてるかな。みんないなくなっちゃったや。あ、植田君はまだいるや。フェンスぶつけたのは植田君です。
え 絵を描くこと
子供のころから絵を描くことが好きで、小学校4年から高校の真ん中くらいまでルーズリーフで漫画の連載もしていた。ものづくりの原点。
「びっち」という、今思えば飛んでもないあだ名の友人と描き合い読ませ合いをしていた。この世界で僕の漫画を読んだことがあるのは僕とびっちだけ。全裸の主人公がたくさんの強敵を倒してゆく壮大な冒険漫画(121話・未完)を描いていた。話と話の間の空いたページに架空の読者からの質問に答えるコーナーがあったり、人気投票があったり、存在しない編集担当者がページ突き破って出てきて打ち切りを迫ってくるようなメタ展開が合ったり、あたかも本当に週刊連載しているような演出もしてた。楽しかった。
お 岡本太郎(芸術家)
どういうわけか僕はこの人に惹かれる。理由はわからん。画も造形物も言葉も考え方も、そのすべてに吸い込まれる。なにがどうとかはほんとうまく言えないんだけど、きっとすべてが作品だと信じられるからだと思う。生き方そのものが作品になっている。
思えば僕が惹かれる人間はみんなそうだ。どんな人もモノも作品も、生き方だけしかそこにはない。それ以外は、ない。それに惹かれるかどうか。
「もっと平気で、自分自身と対決するんだ。こんなに弱い、なら弱いまま、ありのままで進めば逆に勇気が出てくるじゃないか」
か 替えない歌
替え歌とは違って替えない歌っていうのがあって、楽しいやつなんでやってみてほしいんですけど、例えばメロディだけしってる歌、洋楽とかの方がいいんですけど、それを自分の中だけで全力で歌詞を知ってるつもりで歌う。メロディはばっちり知ってるのでオリジナルを歌ってる感じなんですけど、歌詞は出鱈目だから替え歌ならぬ替えない歌。例えば「♪ワチャゴナウォーリン、ウェキゴナリービン、ベティナナリービン、ファンキューエビビン! ウェティバナビン! ウォチバナビン! ワキバナベリビン、オチバナベリボウ! ウィーウィルウィーウィル、ロッキュー! カモン! ウィーウィルウィーウィル、ロッキュー!」みたいな。言ってる意味わかります? 1人か、信用している人と、自分を解放してやってみてください。レットイットビーとかシャルウィーダンスとかも多分歌えると思う。
き 銀杏BOYZ(ロックバンド)
どんな言葉でも足らない。
く クリスマスイブ(2004年)
2004年の11月の暮れだった。
大学の時に在籍していた劇団西一風での引退公演を終えて、ぽっかり時間が空いた。お金を貯めようと、バイトに明け暮れる大学生活の最後を過ごしていたのだけど、ひと月くらい経って発狂してしまう。そこから「何でもいい何かしたい」の衝動だけで、その年のクリスマスイブとクリスマスに路上で演劇をする企画を立てた。生まれて初めて書いた短編演劇の内容は、クリスマスでさえも路上でわけのわからないパフォーマンスに明け暮れる夢追う彼氏と、クリスマスくらいデートに連れて行けと脅す僕が演じた大女の彼女との二人芝居。「カップルの足を止める」を合言葉に複数回行った2004年クリスマスイブのこの路上公演から悪い芝居の歴史は始まった。
け 劇団西一風
2001年に立命館大学に入学し、サークル勧誘真っ盛りの大学構内を歩いていると、頭にタオルを巻いた黒縁メガネ・髭・長髪・黄ばんだ黒Tシャツ・破れた黒ズボン・雪駄の男に「演劇で世界を変えないか?」と声をかけられる。その男は学内演劇サークル「劇団西一風(しゃあいっぷう)」座長・火野裕二郎と名乗った。「パワー・スピード・オリジナル」を標榜し、3つあった学内演劇サークルの中で最も異質だった劇団西一風に入っていなかったら、僕は今の形で演劇を続けていなかっただろう。
こ ごっつええ感じ(テレビ番組)
小学時代から中学時代、リアルタイムで、録画したVHSで、大人になってDVDで、何度も何度も観た。人生で一番観たテレビ番組だと思う。日曜日の夜8時からの1時間の集中力は半端なかった。当時は携帯電話もインターネットもなかったので、9時に番組が終わって眠るまで一人でじっくり反芻したものをノートにメモし、明けて月曜日、学校で友達とずっと『ごっつ』の話をした。もし携帯やネットがあったら、反芻する前にツイッターでみんなの感想を調べたり、メールやラインで友達とやりとりしていたのだろうけれど、今思うと携帯電話無くてよかったなって思う。
さ 紗倉まな(AV女優)
僕の醜態を一番晒したであろう方。存在してくださったことに、心からありがとうございますと言いたい。
し 『地獄でなぜ悪い』(映画)
錦糸町の映画館で観て、上映中に何度も「ブラボー」と小さく声を出してしまった。エンドロールでは拍手。観終わってぐったり。無言で家系ラーメンをすすり、興奮を冷まそうとした。それでも湧いてくるエネルギーは抑えられず、耐えかねて夜の公園を走り跳ね回った。落ち込んだとき、力が欲しいとき、何かに迷ったとき、背中を押してほしいとき、必ず見返す。
す 座りション
いつからこうなったのでしょうか。気がついたらこうなってた。これのせいでションなのに家のトイレ本棚に置いてある本を読んでしまって、ション終了してんのにしばらく籠ってしまうようになった。トイレ本棚には漫画やエッセイ集などを置いておりまして、ションなら一話か一篇、ウンなら二話か二編読み切るまで籠る。トイレって色んなアイデア沸いてくる。ただ元気な時に下に押さえつけてしなきゃいけないのが、毎度毎度たまらなく変な気持ちになる。
せ 1997年
中学三年生の僕といったら漆黒の時代とのちに自分で呼ぶこととなる日々の真っ只中で、活発だったそれまでが50回転したかのような無口で伏し目がちな少年になっていた。学校には遅刻せず欠かさず行く。部活も休まないし終わるとまっすぐ帰ってくる。成績もそこそこ良い。それなのに毎日遊んだり一緒に通学する友達もおらず、家で家族とは最低限の会話しかせず部屋に籠り、漫画を描くか読むかゲームするかラジオ聴くか『ごっつええ感じ』の録画ビデオを見て過ごしていた。
そんなある日、事件は起こった。特別非行にも走っていない、僕と同い年のごく普通の中学三年生の少年が殺人を犯して逮捕された。野球中継、中日ドラゴンズの選手の青い帽子上に「容疑者は十四歳の少年」とのニュース速報が流れたテレビの画面がうっすら思い出される。
あることをきっかけに中学二年生から何の前触れもなく始まっていた漆黒の時代に輪をかけた事件の報道で「彬は大丈夫か? 本当は何か抱えているのではないか?」と見かねた親戚から心配の声をかかった。
そんな中、母親は「彬は大丈夫や」と言ってくれた。
そ 『それでも生きてゆく』(テレビドラマ)
坂元祐二さんの脚本のドラマは全部好きで、中でもこの作品を観た時の鮮烈さと言ったら半端なかったし、大いに影響を受けていると思う。モチーフも物語も登場人物もセリフもたまらないです。『最高の離婚』も『MOTHER』も『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』も同じような理由で大好きだけど、それら全て坂元脚本だと知った上で観たので、まっさらで観た坂元脚本ドラマとしてこの作品をあげます。何と言いますか、やはり僕は作り手の気概がプンプンするものが好きだし、自分もそうありたいのです。10話の食堂でのシーンから、その後の警察署前の後ろ蹴りまでの流れがもう、思い出すだけでも心震える。
た 大仏
小学校中学校は奈良県の学校に通っていたので遠足だったり写生大会なんかで何度も足を運んだけど何にも思ってなかった。劇団を旗揚げた年、引き寄せられるように足を運んで大人になって見える大仏の存在に衝撃を受ける。以来毎年、一年の始めに会いに行っている。
ち ちんぽこ
ああいう作風の芝居をつくってたりしてるので、表面的にしか見てくれない人たちには、ちんぽこでモノを捕らえてちんぽこで表現してると思われがちですけど、ああいうものしか作れないヤツに限ってちんぽこではあんまりモノを考えられないもんだと思ってる。同じような人たくさんいると思っていて「ああこの人ちんぽこで語ってると思われがちだろうけど、俺はそうじゃないこと知ってるで」と心の中でエールを送っているし、そういう人の方が好きだ。エール止まりなのがちんぽこでモノを考えられない種族の弱さ。逆に、ちんぽこを隠してる感じの人を見ると、そいつの背後に見え隠れするちんぽこを感じてしまうし、そういう人って簡単に優しいとか言われていて、優しいと言わせた途端あからさまなちんぽこを剥き出してるとこをよくみるけど、優しいちんぽこだからマイルドになっていやがるからコンチクショウと思う。僕から言わせれば「うしろ!ちんぽこ!ちんぽこ隠してるから!」と最初っから叫びたいが、叫ぶとこちらが軽蔑の目で見られて辛い。ちんぽこでモノを考えてないのにちんぽこでモノを考えてる感じのモノしか生み出せない星に生まれた人たちの名前を誰かつけてください。
つ 津原泰水(小説家)
モノをつくる自分の中には、勝手に多くの作り手たちが棲みつく。小説家でひとり上げるとしたら津原泰水氏だと思う。僕が敬愛する演劇の先輩に薦められて『11』を読み、そこからほとんどの作品を読んだ。描写の仕方が、何と言いますか、誰も見てない視点から書かれているのに映像が鮮明に浮かんでくるのが不思議で、何より文章の美しさといいますか、そこが本当に唯一無二。出てくる人物たちもまた素敵。一番印象に残っている作品は『妖都』。
て テーマパーク
テーマパークの類は大好物で暇を見つけると行きたくなる。基本的には、雰囲気を楽しんだりアトラクションに乗ったりひっそり楽しむだけだったんだけど、一度絶対に嫌だと思っていたパーク内のショップで売っているキャラクターの帽子とうるさいサングラスを思い切って買って装着し園内を闊歩してみたところ、自分が自分じゃなくなったとでもいいますか、むしろパーク内でしか生きられない生物になることができたと言いますか、ビックリするほどに楽しむことができて、今後はもう恥を忍んでそういう楽しみ方をしようと思う。「装着しない方が恥ずかしいわ!」とまではまだ言えない。なので、同じように恥を背負いながらもちょっと背伸びして楽しんでまわれる人と行くのが好き。
と ドイツ
訪れたことのある唯一の海外。ドイツ人の
エンリコという陽気な演出家が演出した『KEBAB』という三人芝居をしに行った。結構ゆったりしたスケジュールで丸3日くらい自由な時間があって、なんだろう、全身に入ってくるもの全部が新鮮だった。いつもと違う街並み、食事、歩く人たち、行き交う言葉、不思議な感覚というか、海外っていうよりは座組みの日本人数人と歩いてたので、それこそ異次元のテーマパークに来た感じと言いますか。一回しか行ったことないくせに偉そうに書いてごめん。それ以来海外には行けてないし、行く予定もないのだけど、僕のあいうえおの中には含まれるひとつの要素だなと思う。劇場の空間や客席の熱気、すごかった。
な 仲村みう(アイドル)
見た目でいうところのいわゆる好みの女性のタイプっていうわけでは全くないのだけど、たくさん通り過ぎて行ったアイドル様たちの中で最ものめり込んだ方です。自分で写真集を買ったのは後にも先にもただ一人で、引退のニュースを知った時も、ショックは全くなく、その判断すら肯定する気持ちだった。存在の仕方と世界の見方が好きだった。
に 人形遊び
今では当たり前のように物語をつくっていて、それを仕事にしてしまっているんだけど、別に小さい時からこういうことをやりたいとか思ってなくて、演劇やるまで演劇を観たこともなかったし、脚本を書くまで小説も読んだことなかったんだけど、でも今思い返すと、テレビドラマとか観て次の物語の展開を予想したり、演劇で物語をつくる前は漫画で物語を描いていたり、演劇が仕事になってから自分の中に昔から物語欲があったことに気がついた。そんで思い返して見て、自分の物語欲の一番最初のはじまりは何かというと、人形遊びだった。幼いころから、表出しない気難しさをもった人間でして、そんなだから友達も多くなく、ごっこ遊びとかは全然してなくて、1人でいわゆるガチャガチャで買えるドラゴンボールや幽遊白書なんかの塩ビ人形をたくさん集めて、それで遊んでた。絵は描いていたので、街並みやフィールドをカレンダーの裏に描いて、そこで戦わせたり会話させたりしてた。今でも実家には、不二家のペコちゃんが描かれたカンカンの中で大量の人形たちが眠っている。
ぬ 「ぬいぐるみが欲しい!」
てなわけで小学校低学年のころの誕生日やクリスマス、僕は両親に「ぬいぐるみが欲しい!」「人形が欲しい!」などと言っていたもんで、そのとおり誕生日やクリスマスはそういうものをもらってたんだけど、その反動なのか、ファミコンやゲームボーイなど男の子が欲しがるものをよくわからないタイミングで買ってくれた。母は「ぬいぐるみを欲しがるのは小さい時にスカートはかせたりリボンつけたりしたせいかも!」とビビり、とにかく男の子のものを与えなくてはと思ったかららしい。ゲーム類にハマってからは一安心したのか、よくわからないタイミングで何かを買ってくれることはなくなった。
ね 寝相
石のように全く動かず眠るタイプなので、寝相が少しでもある時は疲れてるサイン。
の ノリ
どちらかと言えば悪い方だと思う。それはノリに逆らうとか、あんまりノることができないとかではなく、むしろほとんどのことはノリや流れに任せているけれど、いつも冷静にどこかから見てる自分がいる。他の人たちはノリ切れているように見えるので、自分にはみんなと違う欠陥がある気がしてならない。酒を飲むときも、顔はめちゃめちゃ赤くなるし頭はすぐに痛くなるのに、酔いきれないし記憶を失くすこともない。本当にノリきることに密かに憧れるし何度も挑戦してみたし、かなりのところまでいけるようになったけれど、ノリにノッている自分のこともどこか遠くでちいちゃく見つめてる冷めた自分がいる。
は バスケ部
生まれて一番最初の長く続けたもの。中学1年生のころ、まさにスラムダンクどんぴしゃで入部。同学年で25人くらい入部して、練習の過酷さに最終的に引退まで残った同学年の部員は僕を含めて4人だった。とにかく顧問の梅田先生が絵にかいたような鬼監督で、コートの端に置かれた一人掛けソファにデンと腰かけて、手には竹刀を常に装備、何かミスをしようものなら大声で怒鳴られていた。地区予選で敗退した最後の大会後のミーティング、ありがちな「鬼コーチ、最後のミーティングでやさしい言葉をかけるの巻」を少し期待したけれど、そんなことはなく、ブチ怒られて終わった。でも風邪とかひいて学校も休んだ日以外は全部練習に行っていて、それもなんでしょうか、子供心によく怒るけど愛情とバスケへの真剣さを感じていたからなんだろうなぁと今思う。不思議と嫌な思い出もなく、みんなでひとつの目標を目指すみたいなことを最初に教えてもらった場所でもある。
ひ びっち
小学校中学校のときの親友と呼べる男の子。今から考えたらとんでもないあだ名がついてるけど、当時は意味は知らずにそう呼んでだ。一緒に漫画を描いて見せあっていた友達で、僕らのクラスでは漫画を描く人間はどちらかと言えばクラスの端に追いやられていたのだけど、ある時、学級新聞を作るイベントで僕とびっちは注目され、クラスの中心に二週間だけ躍り出る。その際にあだ名をつけようというながれになり、前夜のドラゴンボールZでスポポビッチとかいう名前のキャラが出てきて、ドラクエのスライムだけが出てくる漫画を描いていたという理由で、彼はスライムビッチと呼ばれるようになり、転じて、びっちになった。ちなみに僕は山崎から、ザッキーと呼ばれることになった。びっち、今どこで何してるのかなあ。
ふ プロ野球スピリッツ(テレビゲーム)
はじめ「ふ」はファイナルファンタジーⅨにしていて、テレビゲームカテゴリーの中で一番好きなヤツを書いていたのですけども、なんかこの「あいうえお」は好きなものを書くというよりは自分を構成しているものは何かを考えて書いた方がいいなと思っていて、自分を構成しているテレビゲームのソフトといえばプロスピだなと思い、同じ「ふ」だったのだけどこっちにしました。なんてったってプロスピは、がっつりゲームをやる時間がほとんど取れないもんですから1試合とか2試合とか決めてやれるので隙間の息抜きにはちょうど良く、パワプロじゃなくてプロスピがいいのはリアルな造形の方が選手に思い入れが入るので好きでして、結果的に人生で最も長くやっているゲームであります。しかし驚くべきはこれだけではなく、僕は特にゲームをアップデートしないもんですから、長くやってるプロスピはプレステ2の2010年版のやつなのです。それをいまだにやっている。毎年入る有望新人や新外国人選手をスピリッツモードでつくって手作りで更新していってます。大谷選手も投手と指名打者で二名在籍しています。もちろんメジャーリーグに行ってしまったダルビッシュ投手や田中投手はチームアレンジで該当チームからは外しています。ついこないだ糸井選手を阪神に移籍しました。ペナントも10年を二周しています。プレイチームは広島東洋カープ。
へ 平穏
自分だけはずっと同じ価値観でいれてる気がするというか、そんな風になんていれっこないとわかっていながら、幸か不幸か自分は変わってなくて周りばかり変わってくと思ってしまっている時、冷静に自分を見つめ直さなくちゃ恥ずかしいと、立ち止まって色々考えてみた。その時に自分には、何にも考えずすべてを無意識に受け入れてた時期と、その反動でこのままじゃ生きてるけど死んでるみたいで嫌だと自分のチョイスするものとは逆のことをしようとしていた時期があったことに気がつき、結果、汚く混ざった絵の具みたいに、破滅願望みたいなものとは少し違うけど少し似ている破滅興味みたいなものが心の奥の方で光っている状態に行き着いていると、そんなもん自分でどうとらえるかなので実際のところどうだったかなんてわっかんないんだけど、その時は自分は光っているふりをしているだけで、ただの黒色だと、自分にがっかりした。自分は自分だからなどと都合の良い言葉で自己肯定しているだけの自分が嫌になったとでも言いますか、そこで、優先順位を間違って、本当に大切だと本当はわかっているものをないがしろにしてしていた。今も本当の意味ではまだまだ全然変われていなんでしょうけど、ずっとずっと平坦な道を、自分の周りにいる人たちと、ちゃんと景色を楽しめるスピードでゆっくり歩くことを続ければ、なんだか刺激的な旅だったなぁと言える日が来ると信じて歩きたい。平穏の難しさ、それは、言いたいことを言うのではなく、言わなくていいことをちゃんと言わないことの方が難しいことに似ている。刺激的なことを生み出すことなんて、宇宙一簡単で宇宙一虚しいことなのかもしれないなと今は思う。そしていつかこんなことも忘れる。その時、踊りながら笑っていたい。
ほ 「ホウキも回せるんじゃない?」
中二から卒業まで誰とも話さなかった。親友だったびっちとも疎遠になって、ずっと一人でいた。高校になって必要なことは話したり遊んだりしていたけど自分の中では大きくは変わってなかった。その、誰とも話せなくなる事件が中二の時に起こったのだけど、それは女子バスケ部に所属するクラスメイトでマドンナ的な子がいて、男子のほとんどがその子のことが好きで、その子は全然恋だの愛だの興味ない感じの子、と男子がそう思い込みたい系の女子で、その子に勇気を出して話しかけたことがきっかけで起こった。席替えで奇跡的にその子と隣になって、ほとんど会話はなかったのだけど、あんまり笑わないのに僕が言うことはちょっと笑ってくれるみたいな、なんかいい感じでは話せてる感じがあって、そういう感じを僕は他の男子には言わず一人優越感に浸っていた。その子はペン回しがめっちゃ得意で授業中なんかずっと回してて、で、掃除の時間に僕がホウキで床を掃いていて、その子が小ボウキとチリトリでゴミをかき集めてた時があって、そん時に「小ボウキも回せるんじゃない?」と僕は勇気を出して言った。ペンよりは大きいけどなんかその子なら回せそうな気がして、回してるところみたいなと思って、言った。そしたらその子が、聞こえなかったのか何を言ってるのか意味がわからなかったのか単純にイラっとしたのかわかんないけど、ものすごいしかめっ面で「は?」と答えた。以来、僕は卒業まで誰とも話せなくなった。
ま 松尾スズキ(作家・演出家)
どんな舞台も面白がって観れるし、いいなあと思うものには何の抵抗もなく影響を受けるし、そのときそのときで好きな作家や自分の流行もかわってゆくわけで、好きな演劇作家は誰かと聞かれたら自分も作ってる立場なのでよくわからないのだけど、生でも映像でも一番観たのは誰の作品かと聞かれたら、この人。
み 『宮本から君へ』(漫画)
漫画でひとつだけ上げるならこれ。仕事に恋に奮闘するごくごく普通で、ごくごく風変わりな宮本という男の半生を、99話かけて淡々と描き、やがて100話に起こる大事件を機に歯車が最後の大仕事に向けて歪んで回ってゆく流れと、たどり着いた愛のカタチ。事件にこそドラマがあるわけだけれども、そのドラマが生まれるまでの人生とその後の人生の方が長いということを描いた本作に、僕は物語の中に本物の人間を見るのです。「宮本から君へ」というタイトルを全話かけて描いている。初めて読破したとき、すべての物語、つまり人の人生は「○○から君へ」なんだなあというようなことにとてつもない感動を覚えた記憶がある。
む 「無理!!」
よく言ってしまう。無理じゃないと信じたければ信じたいほど、よく思うし、言ってしまう。できれば言わないでサラっとやりたい。でも言わないときは本当に無理なときなので助けてください。助けてください!
め 面谷さん
小3か小4の同じクラスの女の子で、色白で髪は短めで運動神経が良くって勉強もできてアラレちゃんみたいなジーンズのオーバーオールの短パンをよく着ていた気がする。公園で鬼ごっこしてた記憶しか残ってないし、顔も声も何となくしか覚えてないんだけど、好きだった感情は覚えてて、何か変な踊りをよく見せられた。記憶している初恋の人。
も 漏らした
漏らしたことってありますか? 大人になって一度盛大に漏らしたことがあって、お酒を飲んで酔っ払って漏らしたとかではなく、シラフで普通になんか精神的にお腹が緩くなるような状態になって、ああ、もういいや、って思って、試しに力入れてみたら出たからそのまま出したみたいな感じ。幸い、目撃した人も笑ってくれるような人だったのでよかった。人って優しいんやなって思った。
や 山崎博・知世恵
偉大なる父と母。
ゆ 行方不明事件テレビ公開捜査系の番組
子供ころ、この類の番組が怖くて怖くて苦手なんだけど、反面テレビでやっていたら絶対に見たいといってチャンネルを親に合わせてもらってた。いわゆる神隠し系の番組です。幽霊とか怖い話とかはあんまり恐ろしさを感じないし、お化け屋敷とか肝試しとかもビビりはするけど笑いながら進めるんですけど、この手の番組を観た夜は親と一緒じゃないと眠れなかった。なんだろう、確実に人の手で下されたであろうことなのに、人の力じゃ謎が解けな感じというのが不気味で現実味があって嫌だったんでしょう。祖父母の家は山の中にあって、正月やお盆に帰るたびにこの手の番組を思い出し一人では出歩けなかった。
よ ヨッシーアイランドの箱
高校は男子校だった。昼休みになるとスーパーファミコンのソフトの箱に入って、ブツが回ってきます。基本的に力を持っているのは兄のいる同級生で、僕たちはそいつにスーファミのソフトの空箱を渡すんです。サイズがピッタリなんですよ。で、次の日、中身が入って帰ってくる。ゲームソフトを借りてる感覚で鞄に忍ばせ、家に持ち帰る。親に見られてもゲームソフトの貸し借りですからスルーしてもらえるよ。で、うちの親は野球をやってた弟に付きっ切りでしたから土日はヨッシーアイランドをこれでもかってくらい堪能できた。たまにマリオコレクションの箱も渡して二本借りたりもして土曜と日曜で使い分け、月曜に返すシステムをとってた。当時のブツはちゃんと巻き戻して返さないと、どの部分で果てたのかバレるから恥ずかしかったです。はい。ブツってのはエッチなビデオのことです。ネット時代のガキどもには分かるまい。
ら ライブ
観るにもやるにも、生というのは恐ろしい。良さだけではなく、ダメなところも全部があらわになる。だからこそ信用できるしわかりやすくて愛しい。
り 料理
意外にも料理するのが好きで、あーでも「り」の段だから料理って言葉にしたけど、もう少し砕いて書くと「自分とか他の誰かが食べるものを自分の手でおいしく作る」ことが好きだ。なんか「じゃーん!」ってダイニングテーブルに並べた時にさ「うわー!」って言ってくれてさ、「いっただっきまーす!」ってガツガツいい食べっぷりで食べてくれたりなんかすると、嬉しくてたまらない。あと何を作るか決めずに冷蔵庫にあるものでぴゃぴゃぴゃと作るのも好き。これまでもこれからも自分の一部にはきっと料理は存在してくであろう。
る ルノアール
生まれてから一番訪れた喫茶店だと思う。書き仕事、打ち合わせ、考え事なんかをするのに、最適。値段はちょっと高いけれど、あの広々とした空間と静かな話声のBGM、お客さんたちの空気、あと電源があるし出て行けと言われないところ、大好き。12時までに何とか頑張って入って、びっくりする安さのトーストとゆでたまごのモーニングAセットをつけます。
れ 礼
舞台のカーテンコールの時間は不思議な時間だ。それまで他人だったのに自分としてそこにいて拍手をもらう。だけど、拍手をもらう自分さえも演じているようでもありむずがゆい。とても幸せでもあり、報われもするし、うまくいかなかったところに申し訳なくも思う時間でもあるけれど、いつもそこには拍手をもらう自分がいなきゃならなくて、それは役よりも自分として見られている気がして、実は演技としては一番難しいかもしれない。いつもそんなこと考えてるわけじゃないけど、ふと思うとことがある。
ろ LAWSON
深夜勤。生まれて初めてしたバイトで、途中ほかのバイトと掛け持ちしたり辞めたりもしたけれど、結局は戻ってきて、一番長く続けた。レジ打ちをしながら、お弁当やお菓子やカップ麵や飲料を並べながら、掃除をしながら、からあげくんを揚げながら、いくもの作品のことを考えた。深夜のコンビニにはたくさんの人がやってきた。万引き犯も捕まえた。強盗も入った。フィリピンパブの人に告白された。気になっていたかわいい女の子はやがて屈強な彼氏と一緒に店にくるようになり、やがて1人でコンドームを買って帰るようになった。色んな思い出がある。懐かしい。バイトなしで数ヶ月は生きられる、だが保証はない、しかしここで辞めて腹をくくると決めて入った最後の出勤を終えた帰り道に見た朝日は、今でも忘れません。
わ 悪い芝居
愛してはそっぽ向かれ、逃げては追ってくる、帰るべき死に場所や。よろしく。

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