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『春よ行くな、』トップページ > 出演者インタビュー(大原研二)

悪い芝居リインカーネーション『春よ行くな、』
出演者インタビュー 第二弾

撮影:交泰

大原研二 福島県出身。 「DULL-COLORED POP」メンバー。

ジンワリというより、バンッと! 登場した瞬間、舞台上の温度を上げるハイテンションな役のイメージが強い大原研二。『春よ行くな、』では、「これまで、あまりやったことがない」というナマな男性像に挑んでいる。



――リインカーネーションでは、初演の『春よ行くな』(2013年)の台本を今回のキャストに合わせ改訂しました。この“再生”という作業をどう受け止めていますか?

不思議な感じ。再演ものでも、このタイミング、この時期、このメンバーでやることに足を踏み込むわけで、確かに再生という言葉のほうがしっくりくるなあと思いますね。初演を観た影響を残したまま読んだからかもしれないけど初演の台本はどっちかというと、(山崎)彬くんの頭の中を描いた観念的なお芝居かなという印象だった。けれど、リインカーネーション用に改稿されて出てきたものは、もっと“人間の話”だという感じを強く受けて、印象が変わった感がありますね。自分が観た印象と、実際今、稽古場で感じたものが結構違うので、初演を観ている人にはおそらく違う印象になるのではないかな。

――言葉と、独自の身体表現が絡みあう演出スタイルは初演に近いですね。

逆にリインカーネーションでは、その演出部分も変えてきたりするのかなと思っていたのですが、そこはあの時に獲得した演出法をいかしつつ入ってますね。稽古の最初のうちは、そうなるとそんなに印象が変わらないのではないかという気持ちがあったのだけど、今は、そうでもない気がしている。あと単純に、自分的に作品に盛り込みたいところ、アクセスしたいところがなんとなくわかってきたのもあるかなと思います。

――いろんな劇団から集まった座組みなので、それぞれの作品への視座も違いますね。

そうですね。それによって彬くんもまた違うアクセスに向かう。役者との対峙の仕方も変わるだろうし、そこから生まれた「そっちもありだね」というのが、わりと自然に生まれている。それも、印象を変えているのかなと思います。

――「テクニックだけのワークショップ」と題して、技術をキーワードにしたワークショップをやっていますが、そことは違うアクセスの仕方ですか?

今の若い子たちは、どっちかというとリアル寄りの芝居のほうになじみがあるようなのですが、普段の僕は、虚構であることは大前提でその虚であるまま成立させた世界に説得力を作り出すということをやっている。けれど、彬くんは、「虚だけど、ここに実際ありまっせ」という作品の提示の仕方をする。虚の世界をそのまま現実のものと感じさせるのではなくて、観てる人も虚だとわかっているし、信じていないけど、でもその虚が隣にあるかのように受け入れさせてしまう世界のずらし方をする。なので、僕が普段やっている演劇とは、アプローチは違う感じになってますね。

――戦泰平のような役柄はこれまであまり出会ってないですね?

そうですね。特にこういったナマナマしいというか、愛とか恋とかに関わるような人物像はやってないなあ。もっと、「劇してる!」という感じの役をもらうほうが多いので。戦さんをやっていて、楽しい部分もある一方、ナマっぽさに対する怖さじゃないけど、ざわつく部分は確実にある。普段だと、劇的である状態でいきなり入るけれど、今回はすっと入っておいて、その後に内面のざわついているやつが表出していく感じ。細かい体の隙間のほうに感情が入っていき、もぞもぞしている感じが新鮮です。

――戦さんってどんな人ですか?

シンプルに幸せになりたい人なんだと思う。裏切られたり、損なわれたりするのは知っているけど、愛をまだ信じているというタイプ。背景はめんどくさいものも持っていますが、けして愛が薄いわけではなくて、でもただ本当に、いろいろ下手くそで……。戦さんには、男の恥ずかしい部分があって、メンズとしてすげえわかるし、やってて照れくさいですし…。自分でせりふをしゃべっていても、「俺も言いそうだ。んっ?これ俺かな?」ってなっちゃって、「いやいや、これは、みんなの前で言ってんだぞ」って思いだすような感じですね。

――ほかのキャストも役と本人が同じかのように錯覚しそうになります。今回は初共演のキャストが多いですね。

共演者は彬くん以外は、はづきちゃんは共演したことがあるのですが劇中で絡みはなかったので、ほぼ初めて。僕はみんな好きですね。このリインカーネーション版の本の、この世界の中にいる人だなと、すんなり信じられる人たちばかりだから。



――客演は多いですが、悪い芝居は初めてですね。

僕の印象では、彬くんは演劇を楽しもうとするスタンスが強いタイプで、そういう意味では実験を恐れないし、演劇だからできることをものすごく探すタイプ。『春よ行くな、』という作品性もあるかもしれないけど、この人間たちはいったい何なのか、この戯曲、この作品で何をお客さまに感じさせたいのかというところに、ちゃんとつなげようとする。それを探していることを感じられて、一緒に面白いところを見つけられるということを信じられる演出家ですね。

――稽古の最初のほうでは、首をかしげていましたね?

そうそう。僕で、彬くんの演出意図がうまくいくのかという気持ちがあったのですが、やりながら根底は共有できているとわかって、その根底を一番届けるためには、いろんな攻め方、試しあいができるとわかったので、恐れずにいけました。

――人とはわかりあいたいと思いますか? 

わかりあうということが起きることを信じているのか、そんなものはないと思うか、ないと思うけどあってほしいと思うのか、みたいなことで選択肢変わってきちゃうということはありますね。タイミングで揺らぐし。そのとき信じようと思っていたものが、あるタイミングで信じられなくなって、みたいなすれ違いもある。わかりあえず失った瞬間の感情の残り方とかも、経験上、その時期のつらさみたいなこともわかるし…。

――わかりたい、好きでいたいと思うと葛藤が生まれます。

でも、本当に希望を失ってしまった人には、そのもやもやは起きないから、この舞台を観て、もやもやしてほしい。例えば『春よ行くな、』を観て、自分の身近な問題を解決に向けようと思うきっかけになるかもしれないし。

この登場人物たちがとても好きなんです。幸せになりたいということにものすごく素直だから。そして、それぞれの方法を模索しながら生きている人たちばかりが描かれていると思うので。舞台を観ていてお腹がキリキリしたりするかもしれないけど、もやもやできるのは希望が残っているから。もやってしても、「うわぁーん」となるんじゃなくて、それでいいんだと思える。このもやもやって、本当に希望の証なんです。